2010年03月23日

「龍馬伝」を観て

  この新しい(と言ってももうすでに3ヶ月)大河ドラマはなかなか面白い。30年前に読んだ司馬遼太郎さんの「龍馬がいく」とはだいぶ中身が違っている。それは良いのだが、司馬さんの龍馬は彼の心の動きが今イチ読めなかった。彼がどんどん変化していく様が上手く文章に表現されてなかったようでとても気になったいた。しかしこのTVの「龍馬伝」はそこが実に上手く出ている。ちょっと前で言うノンポリの龍馬が、どうして様々に変化していくのか、そのあたりが映像の力かどうかは判らないが私たちに説得力を持って迫ってくるのである。今や司馬さんの作品のほうがダイジェスト版に思えてくるから不思議だ。いやたぶんTV番のほうがそのあたりをしっかり押さえているのかも知れない。
  今から龍馬は脱藩をするのだが、これからもその心の変遷を我々にしっかり伝えてもらいたいものである。龍馬は何をしても中途半端に終えてしまう。そう書けば龍馬ファンかr怒られるこもしれないが、とにかく色んな事をするが上手くいかない事もあり、失敗もするのである。しかし彼がなそうとする事は充分に納得するし、また実際にしてしまうのだが、事を成し遂げる人物は他の人である。と私は解釈しているが、これからの龍馬がどう変化していくのか大変楽しみである。
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2010年03月19日

「曲げられない女」を見終えて

  楽しみにしていた水曜ドラマ「曲げられない女」が最終回を迎えた。数あるドラマの中でも私は出色の出来映えだったと思っている。主人公は今まで9年間も司法試験を受け続けているが、毎年落ちている設定だ。最終回には合格するかと期待を持たせているが、残念ながら最後の口頭試験に落ちるのである。ハラハラドキドキの結果発表だったが、早紀(菅野美穂)は今回で諦めるという。これが運命と云うように・・・。しかし友達の璃子(永作博美)は得意のウソをついて早紀のやる気を引き出すのである。このシーンは正に圧巻であった。長回しで彼女の怒鳴り散らす言葉を丹念に追う。じっと身じろぎもせず、聞き入る璃子。その叫びは今を生きる全ての人に響く言葉だとも言える。自分の生き様や生き方までを問いかける叫びだった。近頃のドラマにしては我々に直接的に生き様を問いかけてくる数分間にも及ぶセリフだった。あなたは悔いのない生き方をしているかと我々に迫ってくるものがあった。
  人生七転び八起き、失敗の連続だ。成功したことより失敗をしたことのほうがよく覚えている。私はよく「あーすれば良かった」とか、「あの時は失敗だった」と不意に思い出す。今思い出しても何にもならないのにそう言ったことが時々ある。それこそ後悔先に立たずだが、なるだけそんなことは少ないほうが良いのだが、何十年経っても思い出す。璃子は自分の弱さを知ってるから早紀に諦めない心を蘇らせたに違いない。なぜならそのことを教えてくれたのは早紀なのである。
  それから10年以上経ち、弁護士になった早紀が描かれる。また介護士になった璃子があり夫となった光輝(谷原章介)の姿があった。脚本は視聴者の心を見事に捉えている。願いを読み取り叶えてくれる。結果を残すのにどれだけの苦難と努力があったであろうか。それがない人生に大きな見返りはついてこないと云っているようである。人生とは実に厳しいものだと教えてくれる。それを共に支え乗り越えてくれるのは友達であり、愛する人なのだろう。早紀は常識とはちょっとかけ離れた性格だが、そんな性癖を誰でも知らず知らず持っているかも知れない。自分では気づかず暮らしているのかも知れないが、早紀の叫びは誰もが思っていうことだとも言える。だから思い当たる節があり、また共感もしてしまう。続編はこの設定ではありえないが、またこんなドラマを観てみたい、人生の応援歌となるドラマを。
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2010年03月17日

泣かないと決めた日

  火曜日の連続ドラマだったこの番組が昨日終えた。たぶん毎週欠かさず見たはずだ。昔からある耐えに耐える言わば「おしん」風の辛抱ドラマであるが、舞台が大会社で新人OLというのが新味であった。なかなかいじめが今風で隠しカメラであったり、ブログを利用したり、上司が女性でその人もパワハラを受けていたりして設定は色々あの手この手でなるほどなぁと感心したものである。題名は「泣かない・・・」とあるが、最後の最後までやられっぱなしでこれでどう結末をつけるのであろうかと心配になったのだが、最後は優しい若手の上司や犯人が判り同僚たちに助けられるという設定で終えた。それまで彼女をいじめていた同僚たちが謝るのだが、これで本当に良いのだろうかと思わず思ってしまった。若手の上司は彼女に対して「もっと強くなれ、誰かがきっと正しく見ている」などとアドバイスを送るが、果たしてそのようなことでいじめから脱却出来るのであろうかと思う。いじめの実態はそれぞれ違うと思うが、いじめをする人の心情はあまり変わらないと思う。ドラマはそれが何かとまでは伝えてはないが、もう少しそこまで掘り下げて欲しかった。いじめをそんな個人的な弱さとか強さでは計れないものではないだろうか。個人に帰着すればいじめの実態や何故そんな行為をするのかが見えなくなってしまうような気がする。このドラマは折角のテーマが中途半端にしてしまうのはとても残念だ。このドラマをもっと掘り下げるのも私たち視聴者の役割だとも思う。ただこのドラマはとても面白く出来ていたが、いじめられた側の反撃が、「笑顔」であったのが救いで明日を信じられることだと思う。そこで単なる復讐で終えたならこのドラマの意味が違ったものになっているかも知れないからだ。
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2010年03月16日

やることなすこと

  とうとう逃げられるみたいだ。それは同じアジアに諸国から介護者が足りなから海外からの介護士を受け入れる制度のことだ。たぶん担当役所は厚生労働省だろうが、外人の労働者を募り育てることを考えての事らしいが、試験は日本語だし、勿論漢字はあるし日本人でさえ難しい医療用語もある。もし研修期間の2年を過ぎてその試験に受からないと即日本を離れないといけない。こんな難しい試験を受けさせるのかと絶句した。それが日本の実態だ。全く本気で人材を育成してそれを根付かせようとしているのかと疑ってしまう。厚生労働省にその気があっても、もし何かミスがあったら問題が上に及ばないか心配でそんな内容の試験を受けさせている気がしてならない。僅か2年で外国人にそんなことを強いるのは酷な話で、合格なんて至難の業だ。その努力は海外の人におっ被せて肝心の役所は相手の努力に頼っている。そんな話があるものか。もし本当に合格して欲しいなら試験はその国の言語で受けさせればいいし、することは一緒のはずだし意味が判れば済む話だ。難しい言語なら働く所で教えれば良いし、試験以上に働く所での経験が肝心だ。いきなり日本人と同じ事を求めるのも酷な話だ。こんな事をしているから派遣元も日本には斡旋しないと報道していた。日本離れがすすんでいる。当たり前だ、そんな難しい試験や国情を考えれば他の国に流れるのも当然だろう。国が海外からの労働者を本気で増やそうなんて考えてないのが判る。
  日本は制度や体制は作るがそれに心を入れるのはヘタのようだ。仏像は作るが肝心の魂が入っていなのと同じだ。せっかくこのような制度を作っても相手の事を考えなくて自分の責任及ぶことを恐れて只の通達、お達しだけにしてしまう。これだからお役所仕事と言われてしまうのだ。そのことで一番の犠牲者はお年寄りだし、日本に働く場所を求めてきた真面目な人々だろう。こんなことで本当に良いのだろうか。
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2010年03月11日

果たしてこれで納得するのか

  この後に及んで政府は「核の持ち込みの密約」を何となく否定している。果たして密約はあったのか、なかったのか。残された文章だけで判断するのはいささか無理がある。しかし有識者は討論記録は認めながら、それだけでは密約とは言えないという。ではその討論記録はそんないい加減な単なるメモのような存在だったのだろうか。そんなはずはないのである。まあ、有識者も政府の息がかかったものがなるのであろうから、これまでの政府の見解をひっくり返してはいけないと考え、このような曖昧な見解を発表したのだろうが、それでこの問題に感心がある国民が納得するのだろうか。「明確な合意はなかった」とか「暗黙の了解」などと言って結局は密約の存在を否定しているようだ。何だか人を小馬鹿にしているように思える。これなら密約など無かったと正面から結論づけた方がよっぽどすっきりする。公式に米国公文書館に存在があるのを公にされたから、どうして折り合いをつけたら良いのかと考えてこのような文章になったのか。解釈は人それぞれであろうが、C新聞でも定義を使い分けと書かれてある。それは狭義と広義である。そんな使い分けで一体何を検証したのであろうか。まるで詭弁を弄して本質をうまく丸めこようとしているようだ。密約はちゃんと存在し、それ核兵器が日本に持ち込まれてて、堂々と非核三原則が破られていた事実はどう文章で誤魔化しても変わらない。昨日外務省の発表した有識者報告を読んでも頭の悪い私にはよく分からなかった。まるで終戦の時天皇が国民に発した玉音放送のようだ。あの言葉も日本は負けたとは一言も発してなかった。今回の報告も何だか言葉で誤魔化したような印象を持った。日本はどうしてこんなのだろうか。何十年もつきつづけた嘘をちゃんとウソと言えない国家なのであろうか。今回もそれもかいまみれた。  
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2010年03月09日

とうとう40%を切る

  ご存じ内閣支持率だ。発足当時から約半減、当の本人はさすが宇宙人と言われるだけあってあまり堪えてないみたいだ。新聞によると民・自が拮抗と書かれてあった。このままだと本当に参議院選の時には逆転しそうな雰囲気だが、わずか半年でこんなことになるなんて民主党も思いもよらなかったであろう。私もこんなに日本の舵取りがヘタとは予想もできなかった。前も書いたが言うこととなす事が余りにも違いすぎる。国民も性急すぎるきらいがあるが、期待感がありすぎたためにちょっとお粗末に見えるのだろう。後期高齢者保険もそのままだし、派遣法にしても見直し案も穴だらけで依然として抜本的解決には至らなく再び派遣切りを起こしそうだ。基地問題もアメリカの恫喝に怯え、びびって米国の顔色ばかり見ている。こんな姿を見せられては支持率低下も仕方がないと言うことか。
  しかし今の議員制度ではいくら参議院が逆転しても再び衆議院で可決されれば法案は通ってしまう。依然嫌というほど見せつけられた衆参議会を再び見ることになるのか。このままだとそんな姿を見せつけられてしまう。自公政治の再来の姿だ。そこで出てくるのが参議院の存在意義や在り方である。乱暴な意見は参議院なんて要らないなどと言う人もいる。本当に要らないのであろうか。存在価値はあるはずである。しかし現行ではそれを問われかねない。何らかの修正道義や議決権を参議院でも持つべきだと思う。そのまま衆議院に戻すのではなくここがいけないからもっと審議すべきとか、修正を加えるとか、何らかの拘束権を持たさなくては参議院の存在価値を問われかねない。話が大きく逸れたが、結局そこに行き着いてしまう。審議時間は議員の責任だ。いくら長くてもよい。今までのように、ろくすっぽ審議しないで法案を数の力で通してしまう議会なんてそれこそ存在が問われてしまう。お金が掛かるといわれるが、そんなお金は追加などいらない。充分歳費は議員は貰っているはずだ。本当にしっかり働いて欲しい。私たちが選んだ代表者なのだから。
posted by ぐんぐん at 19:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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