2010年03月11日

果たしてこれで納得するのか

  この後に及んで政府は「核の持ち込みの密約」を何となく否定している。果たして密約はあったのか、なかったのか。残された文章だけで判断するのはいささか無理がある。しかし有識者は討論記録は認めながら、それだけでは密約とは言えないという。ではその討論記録はそんないい加減な単なるメモのような存在だったのだろうか。そんなはずはないのである。まあ、有識者も政府の息がかかったものがなるのであろうから、これまでの政府の見解をひっくり返してはいけないと考え、このような曖昧な見解を発表したのだろうが、それでこの問題に感心がある国民が納得するのだろうか。「明確な合意はなかった」とか「暗黙の了解」などと言って結局は密約の存在を否定しているようだ。何だか人を小馬鹿にしているように思える。これなら密約など無かったと正面から結論づけた方がよっぽどすっきりする。公式に米国公文書館に存在があるのを公にされたから、どうして折り合いをつけたら良いのかと考えてこのような文章になったのか。解釈は人それぞれであろうが、C新聞でも定義を使い分けと書かれてある。それは狭義と広義である。そんな使い分けで一体何を検証したのであろうか。まるで詭弁を弄して本質をうまく丸めこようとしているようだ。密約はちゃんと存在し、それ核兵器が日本に持ち込まれてて、堂々と非核三原則が破られていた事実はどう文章で誤魔化しても変わらない。昨日外務省の発表した有識者報告を読んでも頭の悪い私にはよく分からなかった。まるで終戦の時天皇が国民に発した玉音放送のようだ。あの言葉も日本は負けたとは一言も発してなかった。今回の報告も何だか言葉で誤魔化したような印象を持った。日本はどうしてこんなのだろうか。何十年もつきつづけた嘘をちゃんとウソと言えない国家なのであろうか。今回もそれもかいまみれた。  
posted by ぐんぐん at 21:21| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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