2010年04月01日

脱ゆとりだって!

  今の自分は体がしゃんとしないので、あまり怒らなくなった。何だか優しくなったみたいだが、もう少し元気になれば元に戻ると思う。
  昨日の新聞に「脱ゆとり教育」とあった。あるTVではそれまで使っていた教科書と今回の教科書の厚さを比べていた。今まで文科省は何を学んだのだろうかと思う。ゆとり結構ではないか。何事もゆとりは大切である。社会の色んな事を学ぶ事は子供たちにとっても大人にとってもとても大切なことである。しかしその運用方法とか考え方に自信が見えず、先生も何をして良いのか判らずまごまごしていたようだが、それは最初から上手くいくはずがない。じっくり時間をかけて子供達の意見や回りの考えをまとめながらやっていけば良いのであったと思うが、問題はそんなことで解決しなかったはずだ。肝心の先生に全くゆとりがないのである。事務仕事に忙殺されては、子供をゆとりある指導など出来るはずがない。あまりにも先生に様々なことが要求されるのである。家庭も学校にしつけまでも押しつけ先生は勉強を教えることに集中できない有様だ。我々の時代は「学級崩壊」などという言葉もなかったが、今はどの学年でもそれがある。それも低学年でも起きている。そんな状態の学校が全てではないが、明らかに多くの学校で起きている実態は間違いない。そんな状態をほっといてまた昔の詰め込み方式の勉強を子供にさせるのかと思うとお先真っ暗である。子供にもっと社会の仕組みや大人との接点を学ぶためにゆとり教育を作ったはずである。いやもっと高い理念があったはずだ。何故簡単にやめてしまったのか、それともそんな理念など最初からなかったのか疑問さえ思う。
  学力低下はゆとり教育のせいではないはずだ。先生の足りなさや、指導不足もあるし、勉強のやり方、保護者の在り方や、学校そのものの存在も指摘されている。そんな小手先の要領で簡単に学力が上がる訳がない。一時的には上がるかも知れないが、先は見えている。もっと現場の先生の意見を聞いて文科省の役人も学校の現場に出向き腰をすえて一緒に学び実態を知るべきだ。紙切れだけで子供の将来を決めて欲しくはない。
  今は昔とは違い社会と子供の境が判りにくくなっている。社会から悪い影響ばかりストレートに子供に伝わるが、なかなか社会の良いところは子供に伝わりなくくなっている。大人も不況やそれこそゆとりのなさで大変なのである。子供にまで気が回らなくなっている。時間はあっても子供たちにそれを使っているだろうか疑問である。道徳観のない大人が増えているというが、そんな大人が子育てをするのである、押して知るべしだ。何だか危機的な状況だが、立派な大人も回りにいっぱいいる。子供が子供らしく生き生きと学校に通う姿を見たいものだ。
posted by ぐんぐん at 08:09| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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